党幹部の相次ぐ離反ででリーダーシップが問われるマリアノ・ラホイ民衆党 (PP) 代表だが、マリア・サン・ヒル民衆党 (PP) バスク支部代表の辞任の余震もさめやらぬ中、今度はホセ・アントニオ・オルテガ・ララ氏が、ラホイ氏との方針の違いを理由に離党を発表した。オルテガ・ララ氏は刑務官だったが、1996年ETA (バスク祖国と自由) により誘拐され、1年半もの間監禁されていた。1997年に治安警察によって救出された後、PP党員だった同氏は2003年の自治体選挙に民衆党候補リストに名を連ね、当選はしなかったものの、反テロ集会や社労党 (PSOE) 政府のバスク和平交渉反対デモに参加するなど、反テロのシンボルとして活動していた。同氏及びサン・ヒル氏の辞任を受け、アスナル前首相は「深い遺憾」と「両氏への支持」を表明。また、エスペランサ・アギーレ・マドリッド州首長は「PP中央本部のやり方が非常に悪い」とダイレクトな批判を行った。 サン・ヒル、オルテガ・ララ両氏の離反後、PP党員・シンパの間ではサン・ヒル支持派が22日正午、マドリッドのPP本部前で集会を呼びかけ、200人余りがラホイ氏の辞任を要求するシュプレヒコールをあげ、ミーティングのために本部を訪れたラホイ氏とガジャルドン氏に罵声を浴びせた。ラホイ氏は記者会見で、「私に党代表選挙に立候補してほしくない人々がいるようだが、そうはいかない」と、今のところ続投の構え。 【スペイン マドリッド 2008年5月23日】
ヒマラヤ山脈アンナプルナ登頂に挑戦していたスペイン人登山家、イニャキ・オチョア・デ・オルサ氏が志半ばで亡くなった。オチョア氏は両手凍傷のため登頂を断念、19日に発作を起こして意識不明となり、標高7,400メートル地点のベースキャンプ4で救助を待っていた。同山登山中の複数の登山家がオチョア氏救助に向かい、22日にスイス人登山家ウエリ・ステック氏がベースキャンプ4に到着、医師の指示に従って投薬などの手当を施していたが、努力も空しく23日に亡くなった。オチョア氏はナバーラ出身で、ヒマラヤ挑戦30回、8,000メートル級の山にも15回挑戦したベテランで、8,000メートル級24時間登頂を成功させたり、2004年まではアコンカグア山最短登頂記録を保持するなど、スペインを代表する登山家だった。享年41才。 【スペイン マドリッド 2008年5月23日】